曹洞宗の開祖、道元禅師に懐襄(えじょう)と義介(ぎかい)の二人の高弟
がいました。二人とも才長けた立派な人材で、当然、師の印可を受けるべく人
であったが、どういうわけか、禅師は(ぎかい)には印可を与えられなかった。
 (えじょう)は情義のあつい人でしたので弟分に印可が下らぬのを大変苦に
しまして、ある時、禅師に、「なぜお師匠様は、(ぎかい)に印可を与えられ
ないのですか」と訊ねますと、「あれはよくできる。けれども老婆心が足りな
い」とおっしゃった。しかも亡くなる時も、枕元に駆け付けた(ぎかい)に。
「お前はよくできるが、どうも老婆心が足りない。これから先も常にこの老婆
心を心がけよ」と遺言しておられる。
 
 他の本では、確か(ぎかい)様もなにかでハッとされ、気ずかれ道元禅師の
後を(えじょう)が継がれ、その後を(ぎかい)様が継がれたと思いましたが
いいはなしだと思いませんか。
 老婆心です。とても大事なことなのですね。
 才智、技能に優れていようとも、大事なことは思い遣り、人に真心を尽くす
うるさがられるほどの優しさをもつ。老婆心とは人に対してだけでなく、勉強
にも、家庭のことも、家族、にも、もうこれぐらいでいいか?ではなく、もう
少しこうしたら、こういうふうにしたらとか、優しいきもち、真面目に取り組
む。そういう風にいきたいものです。それが仏教の教えなのでしょうね。
 毎日生きていくことはなかなか大変です。優しく生きていきたいものです。
今日は秋雨、公園に散歩にでましたら、案の定人っ子一人いません。まだ四時と
というのに薄暗く楠や楓や銀杏の樹木が重なりあい見るとなんか、別世界のようで
だんだんと暮れていくときも美しいし、落ち葉がいっぱい落ちていて、精一杯生き
落ちたなあーと思うと木の葉それぞれが生きた事を追っていました。ひと葉ひと葉
がみんな違っていて、人間もみんな違っていいなあー違うことがいいと思うーそれ
がいいなあー思いながら歩きました。
 若い頃に流行った「ワシントン広場の夜は更けて」を口ずさみながら、車のライト
がぼやけても明るく灯り走っていくを眺め、歩く。雨もまた好きでね。いいものよ。

 雨の日の歌をどうぞ!

   うつつなく遊べば夜と昼となく祇園一力春の雨降る        吉井勇

   雨にぬれし夜汽車の窓にうつりたる山間の町のともし火の色     啄木

   はらはらと石をぬらして降る雨にぬれ終わるまで石を眺むる  清水 比庵

   椿ちるべに椿ちる椿ちる細き雨降り鶯鳴けば         与謝野晶子

   紅葉みて君がたもとや時雨るらんむかしの秋の色をしたひて     西行

   見る人に花も昔を思ひでて恋ひしかるべし雨にしをるる       西行

 吉井さまらしいし、啄木様の辛さが出ていてね。歌は心や暮らしね~

   秋雨に落葉踏めば懐かしき神社の森の幼なの記憶

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